現在,癌は年間死亡者の3分の1の生命を奪い,当分の間はこの比率は増加することはあっても減少することはないだろう.癌の予防,早期発見への対応が呼ばれて久しいが,癌死が増え続けている現状を見れば,その対策は今だ不十分ということになる.また,治療法も随分進歩したが,癌を退治するまでには至っていない.
今年は『病理学の父』ウイルヒョウ(Rudolf Virchow:1821-1902)の没後100年目にあたる.ウイルヒョウは,がんの『刺激説』を提唱したが,当時ドイツの病理学会の中にも誤解と曲解があり,現代でも未だ十分理解はされていないように思われる.
ウイルヒョウは『形成的刺激』として癌細胞は正常細胞からtransformする(癌は細胞分裂してできる)と考え,ウイルヒョウの下に留学し『日本の病理学の父』山極勝三郎(1863-1930)は刺激説にのっとりウサギの耳にコールタールを『塗り』世界で初めて扁平上皮癌を作ることに成功した(1915年)ことは有名な話である.その後,1932年,オルトアミノアゾトルオールをラットに『食べ』させ,世界で初めて内臓癌(肝癌)を作った佐々木隆興(1878-1966),吉田富三(1903-1973).1967年MNNGをラットに『飲ま』せ,世界で初めて胃癌を作った杉村 隆(1926-)など日本は世界に誇る化学発癌の創始国である.これらは,1755年イギリスの外科医Pott
による煙突掃除夫の陰嚢癌の報告(職業癌)やウイルヒョウの刺激説に導かれた『学問歴』から始まり,20世紀はまさに『癌を作る』時代であった.
癌化した初期の細胞は,まだ「行く先を知らない」頼りない存在であり,その後の発育,進展には,境遇が大切である(癌性化境遇).癌化細胞が,アンテナ型(外界依存型)vs
羅針盤型(外界非依存型)であるかによってその性格,強さ,悪性度が違う.癌の本体解明に道を切り開いた我が国が誇る癌病理学者:吉田富三は,癌の『個性と多様性』を説き,『癌細胞には性格が不変なものと変わってしまうものがある』,『癌細胞に共通なあるいは最も本質的な特徴を見出すことが大切である』と述べている.『病期は可能な限り一般化して理解し,把握しなければならないが,患者は可能な限り個々別々に治療しなければならない』吉田富三の恩師である佐々木隆興の教えにはテーラーメイド医療の原点がある.
世界に誇る我が国の癌研究は,山極―吉田の両巨頭から綿々と引き継がれて今日に至っている.癌発生の過程,その発育・進展を含む自然史には生物学として興味が尽きないばかりでなく,その成果が予防を初めとする臨床医学に応用され,From
bench to bedside という言葉に表されているように,発癌機構の探求もbedside を目指す時代が到来した.
山極勝三郎生誕140年&吉田富三生誕100年を記念し,「温故創新」として『大観し,要約して,真理のある方向を示し,混沌の中に一道の正路を見出すこと』はタイムリーな時代の要請と考えられる.本シンポジウムでは,「食道癌」,「胃癌」,「大腸癌」,「肝癌」「膵癌」を取り上げ,その「自然史」,「発生」,「診断」,「予防」,「治療」の最新の知見を踏まえて「癌発生観」の理解を深め,ゲノム時代に生きる「消化器癌」の展望を語る.
1.食道癌発生研究の歩み |
今村 正之 |
京都大学大学院腫瘍外科 |
2.胃癌発生論 -昔と今- |
上西 紀夫 |
東京大学大学院消化管外科 |
3.大腸腫瘍の発育と進展における
遺伝子変化と形態変化 |
藤盛 孝博 |
獨協医科大学病理学 |
4.肝癌発生論の温故創新 |
樋野 興夫 |
癌研究会研究所実験病理 |
5.膵癌の発生と自然史 |
加藤 洋 |
癌研究会研究所病理 |
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